「家族」にまつわる、思い出の深い曲を、著者・村井理子さんが一言コメントを添えて選曲します。
親衛隊にも入っていた兄ちゃん。
この頃の兄は、アイドル歌手の大ファンで、親衛隊と呼ばれるファングループのメンバーになっていた。ステレオからは、いつもお目当ての歌手の甘い声が流れていた。壁に貼られたポスターと、薄暗い蛍光灯に照らされたシンプルな部屋。テーブルに置かれた灰皿の上の、火がついたままの煙草から細く真っ直ぐ上り、やがてその形を崩しながら部屋に広がる灰色の煙。壁には親衛隊の衣装である青いジャケットと揃いのヘアバンドも掛けられていた。私の記憶に残る兄は、なにかを一心不乱に読んでいる。あるいはステレオに耳を傾けている。そんな時の兄の横顔は穏やかだった。
『家族』56頁より
「聖子はやっぱり『赤いスイートピー』。歌詞が最高なんだ。おまえも聞けよ」と兄は言っていた。
何故 知りあった日から半年過ぎても あなたって手も握らない
兄はそう大声で歌って、最後に「聖子ちゃーん!」とふざけて叫び、私たちは目を合わせて、ゲラゲラと笑ったものだった。
中学生の頃、疲れて家に戻ると、兄の部屋から聞こえてきた曲で、なぜかとても印象に残っている。
父が兄を遠ざける一方で、兄は父に強く憧れていた。殴り合い、取っ組み合いの大げんかをしても、兄は父に対する憧れを捨てきることができていなかった。父に認められようと、いつも必死だった。パパはかっこいい、親父はハンサムだと、父の全てを真似したがった。父はゴルフが好きで年中プレイに明け暮れていたが、兄は自分もゴルフを練習したいと、一度だけ父に付き従ってゴルフコースに出たことがあった。しかし父は、楽しかったと興奮して戻ってきた兄とは対照的に「あいつは落ち着きがなくてダメだ」と言って、二度と兄をコースに連れて行かなかった。
『家族』32頁より
ジャズが好きな父に憧れ、レコードを一生懸命聴いていたのも兄だ。さらさらとした長めの髪が横顔に陰影をつける、その父の独特な雰囲気を、孤独な表情を、兄は好きだった。父の姿をいつも真剣な眼差しで追っていた。そんなときの兄の表情は、気の毒になるぐらい幼かった。
兄が好きだった。夏の夕暮れ時に何度も何度も聞いていた。懐かしい。
兄の自転車に二人乗りして夜の町を走るのも、私と兄の秘密だった。兄は、母に会いたがる幼い私を気遣い、店の前までそっと連れて行ってくれた。アンバー色をしたガラス窓の向こうに母の姿を見ると、私は安心して兄と家に戻った。兄はその度に、おまえはめんどくさいなあと言いながらも笑っていた。
『家族』42頁より
そんなある夜のことだ。兄といつものように自転車に二人乗りをして家に戻る途中、兄がずっと向こうから自転車に乗ってやってくるお巡りさんを目ざとく見つけた。兄は急いで自転車の向きを変えると、暗くて狭い、飲み屋街のような場所に入っていった。破れかけた赤い提灯がぶら下がっているような店がたくさんあるところだ。暗い通路は雨でもないのに濡れていた。そこの共同便所の前で私を自転車から降ろして、「兄ちゃんが戻ってくるまでここで待ってろ。絶対に動いちゃダメだぞ。いまからお巡りさんをまいてくるからさ!」と言って、急いで自転車に飛び乗って、あっという間に姿を消した。もちろん、私は待ってはいられなかった。あまりにも怖かったからだ。
私は(たぶん)真っ青な顔をしてその場を離れると、兄を必死に追った。真っ暗な夜道をひたすら走った。そして、お巡りさんに呼び止められた。
「どこの子?」
私がもじもじしていると、どこからともなく兄が猛スピードでやってきた。キーッ! というブレーキ音が、今でも聞こえるようだ。兄はなんだかんだとお巡りさんに言い訳をし、ペコペコ頭を下げ、いい加減な名前と住所を伝え、その場限りの噓をたくさんついてお巡りさんを納得させ、私を再び自転車の後ろに乗せて家に戻った。兄の饒舌が私たちを救ったのだ。
兄は私が二十歳ぐらいになるまで、酔っ払うと必ずこのときのことを話し、そして大笑いした。
「あのときのおまえの顔、すごく面白かったぞ!」
兄は涙を流さんばかりに大笑いしながら、そう言うのだった。