「家族」にまつわる、思い出の深い曲を、著者・村井理子さんが一言コメントを添えて選曲します。

SPECIAL CONTENTS

「家族」のサウンドトラック(前編)

1アレサ・フランクリン「I Say a Little Prayer」

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母がよく聞いていた一曲。中学生になった私に、「歌詞の内容を教えて」と聞いたことがある。

母が私に、「あなたは地元の中学には行かないでほしい」と言いはじめたのは突然だった。当時の私は、小学校を卒業したら兄ちゃんと同じ中学に行って、兄ちゃんの周りにいるお姉さんみたいに髪を金髪に染めて、丈を詰めたセーラー服を着て足首まである長いスカートをはくものだとばかり思っていた。子供心に、あの中学に行ったら兄ちゃんみたいに強くならなければいけない、そう思い込んでいた。殴られても負けない。兄ちゃんのように強くなるんだと。
 母は、あなたまで兄ちゃんみたいになったら困るから、隣町の女子校に行きなさい。六年生で受験をしなくちゃいけないけれど、今から塾に通ったら大丈夫。もう申し込んできたから、来週から通いなさい。成績を上げなさい。そうすれば合格できると言いながら、その女子校がいかに素晴らしいかを力説した。中高一貫教育のミッションスクールで、外国人の教育者が設立した学校だ。校内に大きなチャペルがあって、毎日礼拝があるし、クリスマスには大きなクリスマス礼拝が行われる。制服だってとてもかわいくて、大人気だと母は必死だった。

『家族』53頁より

2五輪真弓「恋人よ」

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母がシングル盤を買ってきて、昼間から聞いていた。相当好きだったようだ。

 母は読書好きで、趣味で文章を書くこともあった。家には大きな本棚があり、山ほど小説が並んでいた。時間があれば本を開いてノートになにかを綴り、読書の合間に油絵を描いた。仕事はジャズ喫茶の経営だった。当時、父と母の店は経営が順調だったように思う。店は常に繁盛し、若い客で溢あふれていた。レコード、ターンテーブル、煙草の煙。店にはいつも独特の雰囲気が流れていて、田舎の港町でそこだけがぽっかりと異空間だった。

 私が小学校に入学した頃を境に、父が店に立ち寄る回数がめっきり減っていった。父が胃癌で亡くなりずいぶん経ってから母が言うには、父の気難しさ、威圧的な態度が客に嫌われたそうだ。父が来ると、店内が静まり返る。父は次第に店に寄りつかなくなった。確かに、明るく社交的な母とは正反対で、父は誰に対してもある種の緊張感を与える人だった。気難しい表情、辛辣な言葉。誰からも、瞬間湯沸かし器のようにすぐに沸騰する男だと言われていた。驚くほど短気で容赦ない「店主の旦那」。一方で女性には優しく、声を荒らげることは滅多になかった。父の周囲にいる女性は、誰もが父を好きだった。マスターと呼ばれていた父は、いつも女性たちの中心にいた。それは母も常に気にしていた。パパは女性に人気がある。浮気していると思う。相手は隣町の人らしい。

『家族』15頁より

3Bill Evans「My foolish heart」

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父がよく店で流していた。私も好きな曲だった。

 兄に対して、父は常に厳しかった。父が兄を可愛がっていた時期もあったはずだけれど、私にはその記憶がない。きっと、言い争っていた時期が長すぎて、穏やかな日々の記憶を消したのだと思う。兄が成長するにつれ父との対立は深まり、私には、二人の間に流れる険悪で一触即発な空気の記憶しかない。父方の祖母は、「兄妹の中でも(父は)一番優しい子だったのに、実の息子になぜあんなに冷たいのだろう。それが不思議でたまらない。孫が可哀想だ」と言っていたそうだ。
わずかに残る二人の仲睦むつまじい記憶は、車好きな父と兄で、車図鑑を見ていたことだ。共通の話題がある時の父と兄は、普通の親子だった。父は運動神経のよい兄を、ひょうきんな兄を、一時は大事な息子と考えていたはずだ。父と息子の関係なんて、元来シンプルなものだ。表情には出さずとも、心の底ではなにかしらの愛情は抱いていたはず。それなのに、私たち家族の暮らしのほとんどの局面で、父の苛立ちは真っ直ぐ兄に、そして同時に母に向けられた。その理由がわからなかった。なぜ父は母に対して怒りをぶつけたのだろう。兄に対して厳しかったのだろう

『家族』27頁より

4ジャクソン5「I’ll be there」

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私が父にねだって何度もレコードをかけてもらった曲

 私の留学中に突如として痩せ始めた父は、私に会いにカナダまで行きたいとしきりに口にしていたそうだ。私はそのことを、つい先日まで知らなかった。父方の叔母と電話で話をするようになって初めて知った。父が私を思ってくれていたことに感激した。父が私に会うために渡航しようとしていたことなど、想像もしていなかったからだ。しかし、父が私に会うために、どうしても行きたいと願い続けたカナダにやってきたのは、実は父の親友の伸ちゃんだった。
 突然母から連絡があり、伸ちゃんがカナダに私に会いにやってくると聞かされた。私の記憶では、私が滞在していた学生寮までやってきた伸ちゃんと二人でダウンタウンのレストランまで行って、一緒にロブスターを食べたはずだ。おまえの英語はまだまだだなと冗談めかして伸ちゃんは言っていた。黙々とロブスターを食べた伸ちゃんは満足そうだった。相変わらずの変わり者で、悠然とトロントのダウンタウンを歩いてホテルまで戻っていった後ろ姿を覚えている。
 なぜ伸ちゃんが日本からはるばるカナダまでやってきたのだろうと不思議に思っていたが、今になってようやく謎が解けた。伸ちゃんは、病気になってしまった父の代わりに、私に会いに来てくれたのだろう。

『家族』99頁より