このページは、村井理子著『家族』の補稿のページです。
本に書かれなかったエピソード、サイドストーリーを特別に公開します。

SPECIAL CONTENTS :「家族」補稿 4

兄と発達障害

『兄の終い』を書いてから、何度かインタビューなどで兄の発達障害の可能性について聞かれてきた。兄に他の子どもとは違った特徴があったかというと、確かにそれはあったと思う。『家族』にも書いたが、兄には子どもらしからぬ集中力があったし、常に多動気味だった。饒舌で、一旦話し出すとなかなか終わらなかった。親戚から聞いた話によると、幼少期も短時間しか眠らずに動きまわり、両親を悩ませていたらしい。

 私の記憶にある兄も、常に落ちつかず、不安そうな表情で貧乏揺すりばかりしていた。声も体も大きく、発言があまりに自由奔放だから、どこに行っても場を凍り付かせていた。自分に注がれる冷たい視線に気づかないようでいて、実は敏感に気づいており、それを恐れる余り、どんどん大声を出してしまう人だった。収集がつかなくなると、なんとも言えず困った顔で、その場を去るようなことが多かった。だから兄は、突然やってきては吹き荒れ、そして去って行く台風みたいなやつだと言われていた。

 一方で、プラモデルを作るとき、雑誌や本を読みふけるとき、兄は完全に自分の世界に入り込み、何時間でも集中することができた。兄の作るプラモデルは、とても美しく、立派だった。私にとっては、明るく元気な兄、しつこくて鬱陶しくて、無神経だけど優しい兄、そして本気を出したらなんでも出来るすごい兄だった。だから、兄にどんな特徴があったとしても、私のなかで兄は今でも、型破りで大胆で、ときに迷惑な兄以上の何ものでもない。本当に激しい人生だったと思う。

 両親が兄の特徴をどのように考え、どう対応しようとしていたのか、今になっては何もわからない。二人で悩んでいたのは知っているけれど、解決法を探していたのかどうかも知らない。なにせ、私たちが子どもだったあの時代、発達障害という言葉自体なかったし、そのような特徴が兄にあったとしても、両親が彼を専門家に会わせ、診察を受け、そしてそれが何らかの配慮に結びついたとは到底思えない。

 兄は本当にパワフルな人で、その有り余る力で大人を困らせ、周囲を圧倒し、傷つけ、そして何より自分自身をとことん傷つけながら生きた。生ききったのだと思いたい。

 兄は晩年私に対して、何度か「俺はどこかおかしいのか?」と聞いてきた。私はそのたびに、「何もおかしくないよ。力が有り余ってるだけでしょ」と答えてきた。溢れてしまう力を抑える方法を知らないから、理解されずに苦しいのだろうと、薄々、気づきながら。

 もし兄がもっと早い段階で、例えば十代の頃に自分の弱さを理解し、それをどうにか乗り越えることが出来ていたら、きっと彼は今も元気で暮らしていたのではないか。そう思わずにはいられない。