このページは、村井理子著『家族』の補稿のページです。
本に書かれなかったエピソード、サイドストーリーを特別に公開します。
私と兄が子どもだった頃(昭和四〇年代前半から五〇年代)、暴力は日常のあらゆる場面に存在していた。それはいつも、大人から子どもに、容赦なく加えられていた。私と兄の生活環境に、暴力がどのように存在していたのかを考えてみると、はっきりとわかることがひとつある。私も、そして兄も、大人から殴られた経験は少なくないということだ。
特に兄は、大勢の大人から、ありとあらゆる理由で殴られていた。小学校、中学校では教師に殴られ、近所の大人には生意気ないたずら坊主だと殴られた。げんこつという名の暴力だった。それは両親の知らないところで行われることもあったし、そうでない時もあった。殴られる兄を目撃しても、周囲の大人は助けようなんてこれっぽっちも考えていなかったはずだ。あいつにはこれぐらいがちょうどいい、あんなやんちゃな子どもには少しぐらいげんこつが必要だ。そんな雰囲気が蔓延していた。それが昭和という時代であり、港町で暮らすということだった。
私自身が大人に痛烈なげんこつを落とされるようになったのも、就学してからのことだ。何度か手痛く殴られて、その衝撃は今でもはっきりと記憶している。教師が生徒を殴るという理不尽も、そういう時代だったとのひと言で片付けられるのには納得がいかない(今は世の中も変わり、ときおり訪れる息子たちの学校は、とても暖かい雰囲気に満ちていることは付け加えておきたい)。
両親からは大声で怒鳴られた記憶さえない。一度だけ、母と大げんかをして、枕を投げ合ったことがある。しばらく思い切り枕を投げ合って、そのうち楽しくなって、二人で笑い転げた。私が知る限り、兄も両親から一方的に殴られていたことはない。確かに父と兄は、互いの顔を見ればぶつかり合うような関係だったが、実際に殴り合ったことは数回しかなく、つらい幼少期を過ごされたのですねと言われることが多いのだが、それは違う。体の大きな二人が全身の力を振り絞って取っ組み合いをしていたのが私の記憶だ。そして母は、子どもを殴るような人間ではなかった。
確かに寂しい幼少期は過ごしていたけれども、両親からしつけという名目で折檻されたことは一度もなかったし、家の中にいれば私たちは安全だった。両親から手を上げられたことが一度もないということは、私にとっては救いだ。
兄が人格を形成する上で、大人から殴られ続けた経験は大きすぎるほど影響していると断言してもよい。兄を殴った大人たちは、今は高齢者となって、もしかしたらあの頃のことをすっかり忘れているかもしれない。孫を膝に抱き、昔は厳しい時代だったとしんみり考えているかもしれない。しかし、殴られた子どもたちが今もなおその痛みを引きずっているように、子どもに手を上げた当時の大人たちは、子どもを殴った瞬間その拳に感じた痛みを、一生引きずって生きていくべきだ。そういう時代だったとごまかせると思ったら大間違いだ。兄はもう死んでしまったが、兄の痛みは私が引き継ぎ、それは私が死ぬまで消えない。