このページは、村井理子著『家族』の補稿のページです。
本に書かれなかったエピソード、サイドストーリーを特別に公開します。
母は私に多くを与えてくれた。小さな頃から、私が欲しいと言えば、ほとんどすべて二つ返事で買ってくれた。もちろん、高価なものは相当頼み込む必要があったけれど、必死に頼めば、母は、仕方がないわねといった顔で必ず購入してくれた。私は子どもの頃から電化製品が好きで、新しいものが大好きだった。だから、母にはいち早くウォークマンを買ってもらったし、当時とても高価だったビデオデッキも、数か月かけて母を説得し、最終的には購入してもらった。
私と同じように(あるいは、私が母に似ているのかもしれないが)、母には収集癖があって、凝り性で、実家には母のその収集人生とこだわりの証のように、様々なものがぎっしりと並んでいた。本、器、家具、レコード、とにかくごちゃごちゃと大量にあった。手作業も好きで、パッチワークや編み物を飽きることなくやり続けていた。私が幼少の頃は、油絵も描いていた。経営していた店内に絵を飾ることも多かった。地元の絵描きの個展を定期的に開いていた時期もある。とにかく母は、一旦やり始めたらとことんやる人だった。
そんな母が手作業や絵を描くこと以上に凝っていたのは、衣類を買い集めることだった。母は自分自身も様々な服を買っては着飾る人だったが、私を着飾ることも大好きだったようだ。私の記憶のなかの母は、常にデパートに行っては、これがかわいい、あれが素敵と言って、私にスカートや靴やバッグを買ってくれた。もちろん、高級品ではなかった。でも、それはいつも少し変わったデザインだった。
私が小学校に入学したあたりから、母が最も情熱的に買い始めたのが、タータンチェックの巻きスカートだった。その巻きスカートに、金色や銀色のピンを留める。ブラウスは白。トレーナーは、スカートの色に合わせて買いそろえていた。自分は膝下10センチぐらいの長さの、同じタータンチェックのスカートを手に入れ、私には膝丈のスカートを買って、大喜びでペアルックにしていた。母は巻きスカートに薄手のセーターを合わせることが多かった。色は少し濃いめのベージュや茶、黒だったように思う。
母はそのタータンチェックのスカートに、紺のハイソックスと黒いローファーを合わせなさいと私に何度も言いつけた。私もそれが嫌いではなかったが、どうしてもジーンズのオーバーオールとスニーカーの組み合わせが好きだった。父は私が小ぎれいな格好をすると(タータンチェックのスカートを履くと)、「おまえには似合わない。オーバーオールにしとけ」と言って、私を着替えさせた。私はほっとして、オーバーオールの裾を折り、公園まで走って行ったものだった。
成長するにつれ、母が与える可愛らしい服が好きではなくなり、どんどんボーイッシュに傾いていったのは、父と過ごす時間が多かったことが影響しているのかもしれない。
それでも、母のタータンチェックの名残は今もある。私が持っているバッグや財布といった小物は見事にタータンチェックのものが多い。自分でもその理由がわからないが、とにかくタータンチェックを選んでしまう。子どもたちのバッグや文房具もそうだ。だから、『家族』の装幀デザインを初めて見たとき、ふふふと声が出てしまった。懐かしい、母を思わせるタータンチェックだったからだ。