このページは、村井理子著『家族』の試し読みのページです。
(一部抜粋)
兄に対して、父は常に厳しかった。父が兄を可愛がっていた時期もあったはずだけれど、私にはその記憶がない。きっと、言い争っていた時期が長すぎて、穏やかな日々の記憶を消したのだと思う。兄が成長するにつれ父との対立は深まり、私には、二人の間に流れる険悪で一触即発な空気の記憶しかない。父方の祖母は、「兄妹の中でも(父は)一番優しい子だったのに、実の息子になぜあんなに冷たいのだろう。それが不思議でたまらない。孫が可哀想だ」と言っていたそうだ。
わずかに残る二人の仲睦まじい記憶は、車好きな父と兄で、車図鑑を見ていたことだ。共通の話題がある時の父と兄は、普通の親子だった。父は運動神経のよい兄を、ひょうきんな兄を、一時は大事な息子と考えていたはずだ。父と息子の関係なんて、元来シンプルなものだ。表情には出さずとも、心の底ではなにかしらの愛情は抱いていたはず。それなのに、私たち家族の暮らしのほとんどの局面で、父の苛立ちは真っ直ぐ兄に、そして同時に母に向けられた。その理由がわからなかった。なぜ父は母に対して怒りをぶつけたのだろう。兄に対して厳しかったのだろう。父と似ていると言われ続けていた私の心のなかに、母に対する居心地の悪い感情が時折浮かぶのは、父の態度を見続けたからなのかもしれない。母に対する私のこの気持ちはとても曖昧で、言葉で表現することは難しい。
兄は近所でも目立つタイプの子どもだった。体が大きく、喧嘩が強かった。底抜けに明るく、饒舌だった。兄の語彙の豊富さに大人は舌を巻き、同時に不快になるように見えた。兄はいつも大声で笑っていた。笑うと本当に無邪気で、その笑顔を見ているだけでこちらも笑ってしまうような、太陽みたいな男の子だった。お腹を抱えてゲラゲラと大胆に笑い、いつもなにかに興味を持ち、熱心に本を読む活動的な子。大人が呆れるほどしゃべり、大人に𠮟られるようなことを平気でやる子。表情がくるくると変わる、感情表現の豊かな子。肝の据わった子。
小学生のときに友達と映画館に行き、『グリズリー』という巨大な熊の登場する映画を観た兄は、その内容について、その恐ろしさについて、興奮して延々と話し続けた。何日も何日も、兄の興奮は醒めなかった。どれだけ熊が大きかったか、どれだけ鋭い牙を持っていたか、兄は身振り手振りをつけて、誰かをつかまえては、一生懸命になって説明した。ガオー、ガオーと、大声で何度も吠えながら、両目を剝くようにして熊を真似る兄の顔を、今でもはっきりと思い出せる。私は笑い転げた。
兄の熱量が、強い好奇心が、きらきらと瞳を輝かせる様子が、私にはうらやましかった。私にはそこまで打ち込めるものがなかったからだ。兄は、自分の興味が向く対象を見つけると、それに集中し、どこまでも突き詰めた。追いかけ、調べ、収集し、それを観察し続ける根気のある子どもだった。同時に、興味の対象を途中で突然投げ出したり、片っ端から破壊しては満足するような一面も持っていた。そこが大人を困惑させた。
『グリズリー』を観て以来映画が大好きになった兄は、暇さえあれば映画館に足を運び、映画雑誌を隅から隅まで読むようになった。映画好きは亡くなるまで続いていたことを、兄の息子から聞いている。休みの日は、二人で映画館に足繁く通っていたそうだ。
私から見れば、真っ直ぐだけれど、とことん要領の悪い兄、大人をわざと怒らせることが好きな兄、でも頼りがいのある優しい兄でもあった。母はそんな兄をなんとか父の怒りから救い出そうと、必死だったように思える。この頃の母の口癖と言えば、「あんたはパパに可愛がられているからいいよね」というもので、そう言われた私は兄が気の毒だと思う代わりに、優越感に浸っていた。なにせ、家のなかで一番強いパパに気に入られているのだ。パパに可愛がられているということは、最高のステイタスなのだ。だから私は、常に大人の先回りをして、褒められることだけを必死にやるような小賢しい子になった。私にとってそれは本当に簡単なことだった。兄は私を真似して、父の機嫌を取ろうとした。しかし、大人を怒らせるのは誰よりも上手だった兄は、大人の機嫌を取るのが致命的に下手だった。
なぜ父はあんなにも兄に対して冷淡だったのか。その理由は父が亡くなり、ずいぶん時間が経つまでわからなかった。それを母の口から聞いた瞬間、すべての謎が一瞬にして解けたのを覚えている。
「兄ちゃんはパパに顔が似ていないから」