このページは、村井理子著『家族』の試し読みのページです。
母のことは、未だによく理解することができない。私が知る母が、本当の彼女の姿だったかどうかもわからない。母と私の間には常に薄い膜のようなものが張っていて、最後の最後まで、その膜を完全に取り除くことができなかった。どれだけ話しても、彼女の考え方が、特徴的な表情の意味が理解できなかった。私に噓を言い当てられる時、強く批判される時に必ず見せる、あの醒めた表情。怒っているのか、悲しんでいるのかさえもわからない、あの特徴的な顔。目線を下げ、口元だけを歪ませる、あの顔。結局、母が生きている間に私があの表情の意味を理解できたことはなかった。ただ、鏡に映る自分の顔が、母のあの表情に似ていると思う時がある。この数年で気づいたことだ。子どものことで悩んでいる時、私は母の、あの顔をしている。もしかしたら母も、私や兄のことで悩んでいたのかもしれない。
特に、兄についての悩みは深いものだったに違いない。それほど兄は、常に問題を抱えていたし、様々な騒動を起こしていた。それが父と母を深刻なまでに悩ませていたことは、その場にいたのだから誰より私が知っている。父の逆鱗に触れる兄をかばい続けた母の神経は、極限まですり減っていたはずだ。常に𠮟られていた兄は、ずいぶん辛かったのではないか。
私については、もしかしたら兄に対する悩みよりも深い時期があったかもしれない。なにせ私は、手術が必要なほどの心疾患を抱えて生まれてきた。生まれてすぐに、ゆくゆくは手術が必要になる、そうしないと長くは生きられないと医師から伝えられたそうだ。両親は絶望しただろう。
手に余るほどやんちゃな息子と、心臓病の娘。プライバシーのない田舎で新しい生活を始めた、三十代前半の若夫婦。それが私たち家族だった。
私は母のことが好きだった。他界して七年にもなるが、理解はできなくとも、今でも好きだ。何度も衝突し、何度も手痛く裏切られてきたけれど、彼女のことを憎みきれない。社交的で明るく、誰からも好かれる人。田舎には似合わない、派手な雰囲気をまとった人。一方で、「まったく本心を言わない人だった」と親戚は言う。「よくわからない人だった」と、誰もがそう言う。
母は昭和十三年八月、長女としてこの世に生を享けた。母の幼少期を知る人があまりおらず、どのような少女だったのか、詳細はわからない。古い写真を見ると、母が明るい雰囲気を湛えた女性だったことがわかる。写真に写る母の大きな瞳は、真っ直ぐにレンズを見つめている。意志が強そうな表情だ。笑顔がチャーミングで、私が知る母と確かに同一人物だ。母の若かりし頃の写真は、まるでモデルのようにしっかりとポーズをつけて撮影されたものが多く、私が「こんな感じの人だったんだ」と言うと、叔母(母の一番下の妹)はクスクスと笑いながら、「そう、こんな感じの人だったのよ」と教えてくれた。叔母にとっては、明るく、優しい姉だったのだろう。
子どもの頃は、そんな派手な雰囲気を持つ母が自慢で、母の着る服を私も着たいと思っていたし、母が山ほど揃えていた化粧品も、いつか使ってみたいと夢見ていた。大きなメイクボックスに並んだ色とりどりの口紅は、見ているだけで心躍った。母はいつも、周囲を照らすように明るく笑っていた。歯並びがきれいで、本人もそれを知っていたはずだ。とにかく華やかな人だった。優しすぎるぐらい、優しい人だった。なにもかも惜しみなく与えてくれる人だった。でも、私が最も必要とするときに、そこにいない人だった。
母は読書好きで、趣味で文章を書くこともあった。家には大きな本棚があり、山ほど小説が並んでいた。時間があれば本を開いてノートになにかを綴り、読書の合間に油絵を描いた。仕事はジャズ喫茶の経営だった。当時、父と母の店は経営が順調だったように思う。店は常に繁盛し、若い客で溢れていた。レコード、ターンテーブル、煙草の煙。店にはいつも独特の雰囲気が流れていて、田舎の港町でそこだけがぽっかりと異空間だった。楽しく暮らしていたことだろう。幸せな夫婦だったのではないだろうか。私もそんな自由な暮らしを謳歌している両親が大好きだった。
私が小学校に入学した頃を境に、父が店に立ち寄る回数がめっきり減っていった。父が胃癌で亡くなりずいぶん経ってから母が言うには、父の気難しさ、威圧的な態度が客に嫌われたそうだ。父が来ると、店内が静まり返る。父は次第に店に寄りつかなくなった。確かに、明るく社交的な母とは正反対で、父は誰に対してもある種の緊張感を与える人だった。気難しい表情、辛辣な言葉。誰からも、瞬間湯沸かし器のようにすぐに沸騰する男だと言われていた。驚くほど短気で容赦ない「店主の旦那」。一方で女性には優しく、声を荒らげることは滅多になかった。父の周囲にいる女性は、誰もが父を好きだった。マスターと呼ばれていた父は、いつも女性たちの中心にいた。それは母も常に気にしていた。パパは女性に人気がある。浮気していると思う。相手は隣町の人らしい。
私の記憶のなかの父は、母に対しても兄に対しても、なぜかとても冷淡だった。父は母のなにからなにまで気に入らないようで、例えば、母が店で出すサンドイッチ用のパンを切るとき、父は必ず苛立った。よく研いだ包丁を、滑らせるように器用にパンを切る父。とにかく器用な人だった。完璧主義者だった。自分の確固たるスタイルを曲げない人だった。父の切るパンの断面はまっすぐで、厚さも均一で美しい。
しかし母は、父がいくら言っても、錆びついた包丁をパンに押しつけ、ちぎるようにして切る。パンの断面は潰れ、ぼろぼろになる。厚さもどうしたって均一にならない。集中力が続かず、いい加減に切って、それを平気な顔で客に出す。父はそんな母を目撃すると、何度言えばわかるのだと怒った。どれだけ父に注意されようとも、母はいつも同じことを繰り返す。父にどれだけ𠮟責されても、ぼんやりとした表情をする。父はその母の投げやりにも、ふてくされているようにも見える表情にますます苛立ちを募らせていたはずだ。
今にして思えば、父の苛立ちの原因となったことは母のこういった行動以外にもあった。