舞台は昭和40年代、港町にある、小さな古いアパート。
幸せに暮らせるはずの四人家族だったが、父は長男を、そして母を遠ざけるようになる。
一体何が起きたのか。
家族は、どうして壊れてしまったのか。
ただ独り残された「私」による、秘められた過去への旅が始まる。謎を解き明かし、失われた家族をもう一度取り戻すために。
『兄の終い』『全員悪人』の著者が綴る、胸を打つ実話。
昭和40年代、港町・焼津の小さな古いアパート。
ジャズ喫茶を経営する父と母。やんちゃな小学生の兄。心臓病をわずらう幼い妹。
これはどこにでもある、ごく普通の四人家族の物語。
居間のちゃぶ台で食卓を囲む父と母と妹。しかし、兄は廊下に正座させられ、泣きじゃくっていた。食事中に鼻をかんだことを厳しく父が叱る。妹は、小さな茶碗に盛られたご飯を一心不乱にかきこむふりをする。母はうつむき、じっと自分の手を見つめている。
「パパみたいにかっこいい大人になりたい」と父への憧れと愛を隠さない兄だったが、ささいなことで父に度々酷く叱られる。一体なぜ……?
成長した兄は、父と顔を合わせるたびに怒鳴り合いの喧嘩となる。
一方、父は、なぜか母を避けているように見える。母を見るたびに、苛立ちと嫌悪を覚えるようだ。駆け落ちまでして結ばれた二人の間に、何が起こったのか。
家族は、修復不可能なまでに壊れていく。
母は優しかったが、時々、とても残酷な仕打ちをして私を困惑させる。
また、兄を溺愛しつつも雛鳥が飛び立つのを邪魔するかのように大金を与え続け、兄をスポイルしていく。
やがて父は若くして病に倒れ、世を去る。
実家に住み着く謎の女、恋人となった母の金をせびりつづけるニセ実業家。寄生虫のような不気味な人物たちが、母のもとに吸い寄せられてくる。
月日が過ぎ、誰にも入り込めない共依存関係だった母と兄も、もういない。
それぞれは優しい人だったのに、どうして家族はすれ違い続け、ついには壊れてしまったのか。ただ一人残された「私」の、真実を探す旅が始まる。
心にいつまでも刺さったままの棘を抜くために。
家族を心の中にもう一度取り戻すために。
本文の一部を公開します。おたのしみください。
母のことは、未だによく理解することができない。私が知る母が、本当の彼女の姿だったかどうかもわからない。母と私の間には常に薄い膜のようなものが張っていて、最後の最後まで、一度もその膜を完全に取り除くこと[…]
続きを読む兄に対して、父は常に厳しかった。父が兄を可愛がっていた時期もあったはずだけれど、私にはその記憶がない。きっと、言い争っていた時期が長すぎて、穏やかな日々の記憶を消したのだと思う。兄が成長するにつれ父と[…]
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続きを読む不思議なことに、兄は料理が得意な人だった。どこで調理の仕方を覚えたのかわからない。母は一度も教えたことはないという。それでも兄は、大きな中華鍋を大胆に振って、チャーハンも焼きそばも、とても上手に作った[…]
続きを読むアラレと呼ばれていた中年女性が母と同居しはじめたのは、祖母が施設への入所を果たしたタイミングだったはずだ。母は私にはなにも言わず、五十代前半の女性を実家に住まわせた。それだけではない。母はアラレを自分[…]
続きを読む翻訳家・エッセイスト。1970 年静岡県生まれ。
訳書に『ヘンテコピープルUSA』(中央公論新社)、『ゼロからトースターを作ってみた結果』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』(ともに新潮文庫)、『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』(きこ書房)、『黄金州の殺人鬼』(亜紀書房)、『エデュケーション』(早川書房)、『メイドの手帖』(双葉社)など。著書に『ブッシュ妄言録』(二見文庫)、愛犬の黒ラブラドール「ハリー」くんとの暮らしを描いた『犬(きみ)がいるから』『犬ニモマケズ』『ハリー、大きな幸せ』(ともに亜紀書房)、『全員悪人』、本書に登場する兄の死について描いた『兄の終い』(ともにCCC メディアハウス)、『村井さんちの生活』(新潮社)、『更年期障害だと思ってたら重病だった話 』(中央公論新社)。
Twitter @Riko_Murai
ブログ https://rikomurai.com/
本に書かれなかったエピソード、サイドストーリーを特別に公開します。
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【YouTube】期間限定・特別インタビュー
先日、ふと思い出したことがあった。私がICU(集中治療室)に入院していた七歳になったばかりの頃の話だ。心臓手術を終えた私は、私の記憶が正しければ、二週間程度ICUに留まっていた。同室で同い年だった別の心臓病のふみちゃんは、私よりもずっと先に一般病棟に戻っていたが、なぜか私は取り残されていた。私よりもふみちゃんの症状が軽かったから、私の体力が戻らず、歩くことができないほど衰弱していたからと、随分あと[…]
続きを読む『兄の終い』を書いてから、何度かインタビューなどで兄の発達障害の可能性について聞かれてきた。兄に他の子どもとは違った特徴があったかというと、確かにそれはあったと思う。『家族』にも書いたが、兄には子どもらしからぬ集中力があったし、常に多動気味だった。饒舌で、一旦話し出すとなかなか終わらなかった。親戚から聞いた話によると、幼少期も短時間しか眠らずに動きまわり、両親を悩ませていたらしい。私の記憶にある兄[…]
続きを読む私と兄が子どもだった頃(昭和四〇年代前半から五〇年代)、暴力は日常のあらゆる場面に存在していた。それはいつも、大人から子どもに、容赦なく加えられていた。私と兄の生活環境に、暴力がどのように存在していたのかを考えてみると、はっきりとわかることがひとつある。私も、そして兄も、大人から殴られた経験は少なくないということだ。特に兄は、大勢の大人から、ありとあらゆる理由で殴られていた。小学校、中学校では教師[…]
続きを読む『家族』(亜紀書房)が発売となった。古くからの知り合いも早速読んでくれたらしく、また、いつも一緒に仕事をしている編集者のみなさんからもメールなどで感想を頂いて、本当にうれしく思っている。改めて、書いてよかったと思う。読む人によっては衝撃的な内容かもしれないし、自分の家族のことを思い出して辛い思いをする人がいるかもしれない。どんな人にも家族への苦い思いはあるはずだ。むしろ「書くことができない」ほど、[…]
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続きを読むお寄せいただいた感想や書評を、一部紹介させていただきます。
裏切られるとわかっていても、家族のつながりに依存してしまう。捨てたとしても捨てられない、離れたとしても許してくれない血というのは、ひきよせられる何かがある。表に現れている事実だけが真実ではない。
年月が経ち、著者の静かに家族に向ける思いに胸がいっぱいになった。
まるで波のように近付き、離れを繰り返す家族。依存してしまうのも求めてしまうのも、何度も許してしまうのもそれが「家族」という特別な存在だったから。自分の家族はどうやって今のかたちにまとまったんだろう。
“家族”、ざっくりしたイメージはあるが、これほどまでに正解と、同じモノが無い集合体も珍しい。そういう意味で本書の家族もまた異質であり、一般的でもあった。
夫や子どもがいようとも、生まれ育った少女の頃の「家族」がこの世にいない悲しみと、それを両手に握りしめて生きていく重みを終章で感じた。海風に吹かれた家族が湖のきらめきを浴びながら眠るのは、せめてもの幸せだと思う。
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人間というのは、どんなに取り繕ったところで本来的に身勝手な存在だ。だから、自分に余裕がなくなると、とたんに他人への当たりがきつくなる。家族だったらなおさらだ。愛と依存をうまく切り分けることなんてできないので、相手への愛がそのまま依存になり、それがときに相手の存在を踏み倒してしまうほどの重荷になる[…]
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